高校二年の終わり頃は、大学への進学を悩みを抱え始める。
「少しでもいい大学に合格して、いい就職先に就きたい。」
「周りのみんなと同じ大学で、楽しいキャンパスライフを送りたい。」
「部活動の推薦で、なんとか進学先を決定したい。」
などなど。。だいたいこんなところじゃないかと思う
ただ、僕は
大学とは結局、何をする場所なのか最後まで分からずにいた。
一応部活動は県内で優勝も経験したし、勉強面も平均点以上の数字はおさめていたが、
だからと言って学校の推薦型入試には興味がなかった。
今振り返っても、大学進学にこれといった魅力を感じてはいなかったのだろう
それを裏付けるように、各企業が公表している『就活』の面接の審査基準は10年以上連続で
コミュニケーション能力らしい
ここに一定数の人は引っかかってしまい、大学進学する意味なんて、
多くの人はスルーしてしまう悩みに、禿げるくらい悩まされるのだろう
残念ながら、僕もそのひとりだ
みんなと楽しく進学するという選択肢もないことはなかった。
ちょうど僕の進学の時期とコロナ禍で起業が行ったの大量の解雇を目の当たりにしてしまったからだ。
ご存知の通り日本の多くの企業は『新卒一括採用』
つまり、見られるのはコミュ力と若さ。。のみである
(一流の大学の出身は大きなアドバンテージになることは言うまでもなく、その他多くのFラン大学卒業生の比較)
何も学ばず遊びに年間100万円もつぎ込んで、
挙げ句の果てには生涯雇用の信頼性のない会社に就職?!
大学進学しておけば、安定なんてどうしても信じられなかった
うちはもともと5人家族なのだが、
父親は自営業を営んでおり、普通のサラリーマンくらいの稼ぎは普通にしてしまうような人だ
ただ、個人的にはいつまで体が動くのかと言う不安もある。
母は看護師学校の教師なのだが、これがまた稼ぐ人なのだ。
子供3人と犬一匹を余裕で養って暮らしている。
自分を専門学校に通わせたり、妹を私立の高校に通わせたりなど母親ながら本当にすごいと思う。
しかし、驚くべきことがある
実はうちの母が今の就職先を決めたのは40代に入ってからなのだ
『看護師』という母が今の自分と同い年に手に入れた国家資格は、
20年以上時間が経っても
経済的に自立できる十分な価値があることへの驚きと凄さを肌で感じた
単純にそう思った。
自分のこの先の人生を支える、資格が欲しい。
そんな学校に進学することができるのなら、これ以上意義のあることはないのじゃないか
と言う経緯で今の専門学校への進学を決定した。
というものだ。
3大難関資格と言われるほど難しく、親戚や周りには反対された
というのも、今まで勉強ということに対して向き合ってきた時間が少なかったからだ
親の影響で野球を始め、物心ついた頃には周りの誰よりもうまかった
そんな自分に自信を持ち、県外の野球部名門校に進学。
しかしそこで見た現実と理想との狭間で野球の道でプロになる夢とは決別したという過去がある
この資格に対しては自分がどこまで誠実に取り組めるかが勝負どころだと思う
それは自分が周りにどう見られているかを考え過ぎてしまうかららしい
でも、結局自分に自信を与えてあげるのは自分しかいないことを忘れてはいけない
「誰かが言ってたから」
「みんながそうするなら」
なんて大切な決断を周りに委ねてしまった結果、
40過ぎて無職になりましたじゃ
笑えないだろう
僕みたいに、大学進学そのものを迷っている人は是非考えてほしい
未来をよくするのは未来の自分でも過去の自分でもなく
今の自分の頑張りでしかない
そういう意味で、今頑張れることで未来が変わるというチャンスのある道なら
選んでみる価値はあるのではないだろうか
もちろん、僕が部活動に打ち込んでいる間も(もしくはそれ以上かも!)
勉強に励んで難関大学に合格した人たちを軽視しているわけでは全くない
ただ、なんとなく大学に進学してしまうくらいなら、
こんな判断もあるんじゃないかと思う
その証拠に、成功者が出す本なんかは大体、いいことしか書いていない
だから、大抵の成功者の書籍はあてにならないと僕は勝手に解釈している
だから過去の自分の判断が正しいとか間違いとかあんまり難しく考えない方がいいかもなって思う
結局目の前には過去やってきた『結果』があって
それは10年後でも20年後でも普遍的に現れるものだからだ。
僕の今の世界がこう見えるのは
おそらく過去の自分の行動の結果だろうと思う
10年後に見える世界から、今の自分はどう見えてるんだい